町田啓太(まちだ・けいた)さん — 端正な容姿と卓越した演技力で多くのファンを魅了している俳優です。
その背景には、努力とチャレンジがいっぱい詰まったストーリーがあるのです。
この記事では、パイロットを目指した過去やダンスに打ち込んだ学生時代などの経歴をまとめています。
諦めた夢とは?
町田啓太さんほどのイケメンになると、全てに恵まれているという印象がありませんか?
実際には、人生の大きな転機ともいえる2度の挫折を味わっているのです。
①パイロットへの夢
町田啓太さんは小さい頃からの憧れであるパイロットを目指して、航空業界に特化した高校に進学しています。
しかしパイロットにとって重要な視力に問題があった、として断念しています。
実際はパイロットよりもダンスの道に進みたいと思うようになったためで、視力に関しては「言い訳だった」とのちのインタビューで吐露しています。
そうは言っているものの、県外の高校に進学してまで目指した夢を諦めるのは、本人しか知りえない悔しさがあったことでしょう。
その後コースが分かれる2年時にメカニックコースに進み、漠然とダンスの専門学校に通うことを想定していた町田さん。
その時に尊敬する恩師から、以下のように勧められて大学進学を決意しています。
どうせ野望とか持って東京に行くなら4年制の大学行って、
いろんな人と出会って交流した方が絶対に身になる。
日体大いいと思うよ。
出典:hochi.news/articles/20180524-OHT1T50198.html?page=1
その後は「先生の言った通り日体大に進学したら不思議なもので、LDHとつながりができるんですよ」と語るとおり、恩師の助言に導かれて現在に至ります。
助言もさることながら、町田さん自身の「運命を切り拓く力」もあったのでしょう。
②ダンサーの夢を諦めて俳優の道へ
芸能界に入ってから、順調にキャリアを重ねてきた町田啓太さん。
しかし舞台「ろくでなしBLUES」の公演中に左足アキレス腱断裂により舞台を降板し、数ヶ月の療養を余儀なくされています。
その後も右足ふくらはぎを痛めて療養するなど、けがに悩まされる日々が続きます。
現在は俳優業に専念するために、一度離れた劇団EXILEに復帰を果たしています。
町田さんはその後のインタビューで「人生の選択に迷った時には他人の評価ではなく、自分の思いに素直に従う」と語っています。
これは夢を諦めざるを得なかった彼だからこその金言でしょう。
所属事務所のLDHがダンスだけではなく、俳優としての受け皿があったのは不幸中の幸いです。
体育会系の大学時代
幼い頃から教師だった母親の影響を受けて、自身も教員になりたいと思っていた町田啓太さん。
高校時代の恩師の勧めもあり、体育の教員免許を取得するべく日本体育大学の体育学部に進学しています。
大学時代に出会った関口メンディーさんとは、当時週5日ほど一緒にいたといいます。
しかし同じ事務所のLDHには別々のルートで入ったため、腐れ縁だと語っています。
この発言は、仲が良いからこその照れ隠しでしょう。
オーディションに合格、芸能界へ
町田啓太さんは大学在学中、関口メンディーさんと同じダンスサークルに所属していました。
その活動がプロの目に留まり、現在の所属事務所「LDH」が運営するダンススクール「EXPG STUDIO」に特待生として入学しています。
その後の2010年8月に開催された「第3回劇団EXILEオーデション」に約2000人の中から合格し、俳優としてデビューを果たしています。
その頃の話として「腐れ縁」の関口メンディーさん曰く、
体育大って肉体派の人が多くて、
まっちー(町田さん)みたいな顔の人なかなかいないんですよ。
だからみんな振り向くぐらいモテてて、
食堂とか行ったら女子たちが「来た!来た!」みたいなぐらい。
出典:mdpr.jp/news/detail/1827649
と、当時のモテモテぶりを明かしています。
みんなが振り返るほどモテていたイケメンで、ダンスもこなすとなれば、オーディションに受かるのは必然と言えるでしょう。
高校生時代は?
町田啓太さんは地元の中学を卒業後、日本航空第二高等学校(現・日本航空高校石川)の航空科に進学しています。
同校は未来の航空業界を担う人物の育成を目的としている、航空関連に特化した高校です。
この高校は甲子園への出場回数が多いため、硬式野球部の強豪校として知っている方も多いのではないでしょうか。
町田さんは高校進学と共に群馬県の親元を離れて寮生活を送り、寮では副寮長を務めていました。
この時に同室だった友人の影響でダンスに出会い、ダンス部で部長を務めるほど打ち込んでいるのです。
ダンスをきっかけに芸能界に足を踏み入れた町田さんにとって、高校時代にダンスに出会ったのは運命だったのかもしれません。
高校時代のモテエピソード
高校生でダンス部に入りキャプテンを務めた町田啓太さん。
身長180㎝超えで整ったルックス、真面目でリーダーシップも兼ね備えていたため、当時から一際目立つ存在だったといいます。
当時のダンス部顧問の先生は、県内で行われたダンスの発表会は町田さん目当ての女子生徒でいつもパニックになっていた、と振り返っています。
町田さんが当時から別格だったことが分かるエピソードです。
中学生時代は地元の学校に進学
町田啓太さんの出身中学校は、東吾妻(あがつま)町立太田中学校(現:東吾妻町立東吾妻中学校)です。
中学生時代は硬式野球部に所属してましたが、剣道教室にも通っていました。
イケメンで身長181cm、スポーツも得意な町田さんは恵まれている部分が目立ってしまいますが、陰では人一倍の努力をしているのです!
人生最大のモテ期は?というインタビューに対して、以下のように答えています。
中学かな。
ちょうど携帯電話を持ち始めたころで、
ほかの学校の子とも連絡が取れるようになったんですね。
(中略)
当時、今とほとんど身長が変わらなかったので、
ほかの学校に行くと、わあっ!って感じがあって(笑)。
出典:jisin.jp/entertainment/interview/1615490/
これだけモテモテの人生を送っているにも関わらず、とても謙虚な町田さんはもはや聖人なのかもしれません。
小学生時代はスポーツに打ち込む日々
町田啓太さんの出身小学校は、地元の東吾妻町にある東吾妻町立太田小学校です。
小学校時代から運動神経抜群で、野球やバスケットボール、水泳やスキーなど複数のスポーツをこなす活発な少年でした。
この頃始めた剣道は、最終的に二段を取得するほどの腕前を持っています。
もともとのポテンシャルが高いうえに努力家とくれば、並大抵の男性ではとても太刀打ちできないでしょう。
気になる初恋のお相手は?
モテモテの人生を歩んできた町田さんの初恋相手が誰だったのかは、とても気になるところです。
そのお相手とは保育園の先生です。
町田さんは先生の後ろをずっとつきまとうほど大好きで、保育園から帰る時には良く泣いていたといいます。
とても可愛らしいエピソードですね!
当の初恋の相手の先生は、一生の自慢にできるでしょうね。
プロフィール
こちらが町田啓太さんのWiki風プロフィールです。
本名:町田啓太(まちだ・けいた)
生年月日:1990年7月4日
年齢:34歳
身長:183cm
血液型:O型
出身地:群馬県吾妻(あがつま)郡東吾妻町
最終学歴:日本体育大学体育学部
(中退という情報が有力で卒業については不明)
町田啓太さんの公式写真集は、ファンにとって貴重な宝物といえるでしょう。
彼の自然体の姿や日常の一コマが詰まったこの写真集は、発売と同時に即完売となるほどの人気ぶりなのです。
多面的な魅力が存分に表現されており、写真を通じて彼の新たな一面を感じることができる一冊になっています。
コメント