坂口憲二が病気になったのはいつから?セカンドキャリアの焙煎士とは

坂口憲二が病気になったのはいつから?セカンドキャリアの焙煎士とは
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ドラマ「ほんとにあった怖い話 」への出演は実に11年ぶりという、俳優の坂口憲二(さかぐち・けんじ)さん。

「サントリー生ビール」のCM出演を皮切りに、本格的に芸能活動を再開しています。

この記事では、坂口憲二さんがいつから病気になったのかや、セカンドキャリアの焙煎士という職業についてまとめています。

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坂口憲二が病気になったのはいつから?

フジテレビのドラマで演技をする坂口憲二

坂口憲二さんいわく、2012年ごろから右股関節に違和感を感じるようになったそうです。

痛みが本格的に悪化したのは2年後の2014年で、この時に病院で精密検査を受けています。

翌2015年に「特発性大腿骨頭壊死症という診断結果が出ています。

特発性大腿骨頭壊死症の図解

この病気は国に指定された難病で、何らかの理由で大腿骨の骨頭で血流障害が起こり壊死してしまうという病気です。

つまり坂口憲二さんが病気を発症した時期は、最初に違和感を覚えた2012年以前ということになります。

幸いにも坂口憲二さんの場合は発見が早かったため、すぐに手術を受けています。

しかし当時は歩くことができなかったため、しばらくは車いすで生活をしていました。

坂口憲二さんは、

スタッフや友人もすごく心配してくれたし、当初は自分も復帰するつもりでいました。でも、その頃に結婚して1人目の子どもが産まれたんですけど…ちょっと先がわからない病気だったので、徐々にセカンドキャリアの道を真剣に考えていくようになりました。芝居もサーフィンもできず、時間だけが過ぎていって、どうしよう、と結構考えましたね。

引用:ハフポスト

と、当時のインタビューに答えています。

着実にキャリアを積み重ねて安定期に入った俳優という仕事が突然できなくなるのは、想像を絶する不安だったのではないでしょうか。

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特発性大腿骨頭壊死症とは

あまりなじみのない病名なので、特発性大腿骨頭壊死症についてまとめてみました。

この病気の日本全国での1年間の新規患者発生数は、約2,000~3,000人を数えます。

これら新規の患者を年代別で見てみると、男性は40歳代、女性は60歳代に多く発症が見られます。

男女を合わせた全体では30~50歳代が最も多く、働き盛りの年代が発症しやすいというデータが出ています。

症状は股関節の痛み、股関節の可動域の制限、歩行障害などです。

ステロイドの内服や大量の飲酒が主な原因とされていますが、いまだにはっきりとした原因は分かっていません。

ちなみに2022年、お笑い芸人の千原ジュニアさんが、この病気で人工股関節の手術を受けています。

特発性大腿骨頭壊死症の手術後、カメラにレントゲン写真を見せる千原ジュニア
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坂口憲二のセカンドキャリアの焙煎士とは

コーヒーを挽く機械の前で微笑む坂口憲二

坂口憲二さんがコーヒー焙煎士として、第2のキャリアを歩み始めたのは2018年のことです。

焙煎士というのは資格がある訳ではなく、コーヒー豆の焙煎を行っている人は焙煎士を名乗ることができます。

よく耳にするバリスタとの違いを明記しておきます。

<焙煎士とバリスタの違い>

焙煎士   焙煎をしてコーヒー豆という素材を完成させる人
バリスタ  実際にコーヒーを提供する人

坂口憲二さんが2014年、アメリカ旅行中に⽴ち寄ったコーヒー屋がすごくおしゃれだったため、興味を持ったことがコーヒー焙煎⼠という職業に進むきっかけとなったそうです。

帰国後、バリスタの資格を持つ成澤敬介さん主宰のセミナーに通い始めています。

2019年には千葉県九十九里町に焙煎所を構え、自身のコーヒーブランド「ザ・ライジングサン・コーヒー」を立ち上げました。

千葉県九十九里町の「ザ・ライジングサン・コーヒー」の外観

師匠である成澤敬介さんも、立ち上げ当初からヘッドバリスタとして参加しています。

そんな中、あるきっかけで成澤バリスタと都内にコーヒースタンドを開く事になりました。

そして2019年5月にコーヒースタンド&ビーンズショップという形で「The Rising Sun Coffee 東京店」をオープン。

The Rising Sun Coffee 東京店の外観
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