パリ五輪の女子マラソン日本代表である前田穂南(まえだ・ほなみ)選手がまさかの欠場。
このニュースに驚かれた方も多いと思います。
この記事では欠場までの経緯と、前田選手の2度にわたるオリンピックへの挑戦の歴史をまとめてみました!
手元をすり抜けていったパリ五輪
パリ五輪女子マラソンに出場予定だった、前田穂南選手の欠場が発表されました。
欠場理由は右大腿骨疲労骨折のためです。
チーム、コーチ、選手と話し合い、
この状態でマラソンに出場することは
今後の選手生命にも関わる重大な問題であるため、
本連盟として欠場を判断いたしました。
出典元:https://news.yahoo.co.jp/articles/e25dc9b9305685488877bc602c97683aec676543
日本陸上連盟は経緯を上記のように報告すると共に、補欠選手との入れ替えがないことも発表しています。
これは補欠解除指定日(8月2日)時点では前田選手は本番に向けた調整練習を行なっていて、当初の予定通り8月2日に補欠解除を行ったためです。
欠場決定までの一連の流れを分かりやすくまとめてみました。
7月31日 練習中に右大腿部付け根の張りを認識
8月6日 チームドクターの診断やレントゲン検査
8月7日 エコー検査
ーーーここまでは大きな所見は確認されず、様子を見ながらの調整ーーー
8月9日 症状が改善されないことからMRIで検査をしたところ、
大腿骨近位に信号変化→右大腿骨疲労骨折と診断
チーム・コーチ・前田選手本人の3者協議の結果を受けて、日本陸上連盟が欠場を判断
前田選手のパリ五輪は、残念ながら欠場という形で終わってしまいました。
しかし以前、ケガからの復活を果たして日本記録を樹立、パリ五輪の切符をものにした前田選手。
これで終わるとは到底思えません。
マラソン選手としてではなく、何か他の形で人生というオリンピックの金メダルを獲得する日が来ると信じています!
次の章では、前田選手のマラソン選手としての軌跡をまとめてみました!
山あり谷ありの競技人生
2015年、前田穂南選手はオリンピックに出るという夢を叶えるべく、マラソンで有名な天満屋に入社。
東京オリンピックの選考会で優勝し、日本代表の座をつかみました。
高校時代は駅伝の強豪校である大阪薫英女学院高等学校に入学したものの、3年間補欠の憂き目にあっています。
それでも諦めずに努力をし続け、やっと夢に手が届きかけたその時、新型コロナの影響で東京五輪の1年の延期が決定。
待望の東京オリンピックの直前には左足を故障してしまうというアクシデントに見舞われ、ほとんど練習ができない状況で挑んでいます。
結果は健闘もむなしく、33位という結果に終わっています。
さらにかかとを疲労骨折し、競技から1年7か月遠ざかるなどして臨んだパリ五輪の最初の選考会では、7位という結果に悔し涙を流しています。
しかしここからが奇跡の復活劇の幕開けでした!
大阪国際女子マラソンでは2時間18分59秒という日本新記録をたたき出して、自身2度目のオリンピックとなるパリ行きのチケットをつかみ取っています。
パリのマラソンコースはオリンピック史上最も過酷と言われています。
最大高低差156メートルといわれるアップダウンと、でこぼこした石畳…難関コースをいかに攻略するかがカギになります。
ケガがなければ東京五輪後に引退するつもりだった、という前田選手。
引退の時期を延ばしてまでつかんだ夢の切符でしたが、手元をすり抜けてしまいました。
小山直城(こやま・なおき)選手
赤﨑暁(あかさき・あきら)選手
大迫傑(おおさこ・すぐる)選手
鈴木優花(すずき・ゆうか)選手
一山麻緒(いちやま・まお)選手
前田選手の無念を晴らすべく、上記5人の選手がパリの街を駆け抜けます!
プロフィール
こちらが前田穂南選手のwiki風プロフィールです!
本名:前田穂南(まえだ・ほなみ)
生年月日:1996年7月17日
年齢:28歳
血液型:O型
身長:166cm
出身地:兵庫県尼崎市
最終学歴:大阪薫英女学院高等学校
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